アメリカ・ニューヨーク州、アーカンソー州そして京都市。いったい何の羅列かと思われるだろう。このまったく別々の土地の出身者が、ひとつの建物で暮らすようになった。建物の名前は「絹市」。2014年夏に長浜黒壁スクエア近くに出来たシェアハウスである。
ニューヨーク州出身のキンバリー・グズマンさんとアーカンソー州出身のアイザック・モーガンさんは市内小学校のALT(英語指導助手)として来日した。京都出身の長野麻紀さんは、長浜市民国際交流協会に勤務し、絹市に引っ越す前は京都から通勤していた。正確にいうと絹市にはもう一人入居者がいる。オフィスとして絹市の一室を借りた長浜市内在住で映像製作家の常木真さんだ。
皆の入居間もない頃、絹市へお邪魔した。残念ながら常木さんは不在だったのだけれど、3人が出迎えてくれた。
建物はもともと明治初期に建てられた醤油屋さんだったそうだ。屋号をそのままとってシェアハウスの名前にした。
醤油屋だった時代、たくさんの従業員がいたのだろう。奥に奥にと続いていてとてつもなく広い。シェアハウスにするにあたって大幅にリフォームを施し、水周りなどは使い勝手がとても良くなっているが、古き良き部分はそのままに昔と変わらないであろう重厚感がただよっている。2階と蔵の一部が住人の個室。玄関入ってすぐのテーブルスペースと和室をはじめ、台所や洗面、風呂など1階部分のほとんどは共用だ。
「まだ住み始めたばかりで、ゴミ出しや掃除といった入居者ルールもしっかり決まっていなくて。これからですね」と長野さんが説明してくれた。
これからとは言っても、国が違うことでの生活文化の違いは大きいのでは・・・。勝手に心配する私をよそに、なんというかみんなとても楽観的だ。
モーガンさんは日本文化が大好き。スマホの待ち受け画面は、「紅の豚」のポルコなくらいで、絹市を選んだ理由のひとつは「サムライ映画を見てきて、一度は和風の家に住んでみたかった」。
グズマンさんは「ニューヨークは24時間電車が走っているような街。長浜に来て最初に住んだのは高月駅近くのワンルームで、周りに何もなくてむちゃくちゃさみしかった。今はみんなと一緒に住めるし、近くには黒壁やたくさんのお店あってもうほんと楽しい」。
というようなことを2人とも流暢な日本語で話してくれる。 そして長野さんはといえば、長浜にいるさまざまな外国人と関わることを仕事にしているくらいだし、かつてはアメリカへの留学経験もあるというから、アメリカ出身の2人が暮らしの身近にいることがうれしくてたまらないようだ。3人での会話ももちろん英語だ。
共同生活で困っていることはある?と尋ねても皆うーんと考え込む。「アイザックには裸で歩かないように注意はしてるけどね」。唯一の意見は女性陣からのものだ。
絹市で暮らし始めていちばんの変化は、3人とも共通している。知人友人が増えた。それぞれの友人を紹介しあい、しゃべったりごはんを食べたり。どんどん輪が広がっていく。「せっかくの広い家、いっぱい友達を呼んでパーティーしたい」と声を揃える。
さらに「近所の人とも仲良くしたいし、まつりにも参加したい」。界隈の伝統行事である長浜曳山まつりにも興味をもつ。
3人に会ってから少し時間がたった。ときどき、絹市の前を通ることがある。みんなどうしているかなあと思いながらあのときの長野さんの言葉を思い出す。「夜、仕事から帰ってきたときに玄関の明かりがついていると安心します。誰かがいるって心強い」。