• 2019.10.15
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長浜人の花火を楽しむ文化


長浜市を中心とした湖北地域には、明治時代から「花火陣屋」と言われる花火を打ち上げる際の指揮所が残っています。湖北地域特有のものらしく国友町、今町、宮部町、大井町をはじめ現在12基あるそうです。

今町には、巴組と言われる陣屋が1基のみ残っています。その歴史は今町に隣接する国友町に関係します。国友町は信長、秀吉の時代から鉄砲鍛冶で栄えた集落でしたが、江戸時代になると戦がなくなり、火薬技術に優れた人たちは花火師に転向しました。明治時代になると花火製造技術が一段と進歩し、花火陣屋を設営してこれを装飾する文化も生まれました。この文化は周辺の村々にも広まり、今町にも影響を与えたと言います。

明治時代の花火大会の様子は、今町(当時今村)、国友町(当時国友村)他近隣の村、さらに岐阜県の関ケ原町(当時関ケ原村)からも参加し、花火陣屋を建て、仕掛け花火や、打ち上げ花火を上げ、互いに立派さを競い合ったそうです。このような花火文化は大正から戦前まで受継がれました。

今回、長浜市が花火陣屋の県指定有形民俗文化財を目指して調査を始めたことと、新天皇ご即位をお祝いする意味合いもこめて、今町では平成30年に住民有志12人で「花火文化継紹会」を設立し、明治から受継ぐ盛装した花火陣屋と明治花火を再現しようと試みました。

その中心となっているのが、同会会長の辻藤吾さん。辻さんは、明治花火再現のため火薬類製造保安責任者(丙種)の資格をわざわざ取得し、古文書などを参考に火薬配合など明治時代の製法を再現しました。

10月13日の打ち上げ当日は、町内の八坂神社境内に花火陣屋が設営されました。陣屋内には神棚の両脇に3つの大きさの違う花火玉模型と陣笠、ほら貝が飾ってありました。陣屋を囲む幕はシルクで織られた高価なもので、当時陣屋の装飾に力を入れていた様子がわかります。

この陣屋と花火を一目見ようと町内はもとより県外からもその情報を聞きつけてわざわざやってくる人がいるほどでした。

午後6時になると辺りも暗くなり、月夜のなかいよいよ花火の打ち上げです。子どもから大人まで町内の住民が境内やその周辺にぞくぞく集まってきました。

境内から200mほど先で打ち上げられた明治の花火は、現代花火のように派手さはないものの、日本文化らしい繊細さと美しさを備えており、線香花火を眺めているときと同じ感覚を持ちました。

その後現代花火も打ち上がり、花火大会は無事成功裏に終えられました。

長浜人が楽しむ花火文化は、今も「長浜・北びわ湖大花火大会」という形で毎年8月上旬に約1万発夏の夜空に打ち上げられ、夏の風物詩として引き継がれています。

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川瀬智久
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川瀬智久
身長188cm、市役所入庁以来、背の高さだけはNo.1をキープしています(笑) 「人がまちを動かす」を理念に、広報を通じて、人がつながり、共感を与え、市民活動を喚起、活発化させられるようがんばります!今回の取組みで、観光のような「ハレ着」とは違った「普段着」の長浜の魅力、愉しみ方を紹介し、「長浜いいね!遊んでみたいね!住んでみたいね!」と、行動に移してもらえるようデザインしていきたいですね。