長浜市鍛治屋町で途絶えていた伝統的な踊りが20年ぶりに復活しました。
鍛治屋町はその名のとおり鍛冶で栄えたまちで、戦国時代には「草野槍」と呼ばれる戦の武器が作られていました。その槍が賤ケ岳の戦いで豊臣秀吉側の勝利に貢献し、踊りはその祝いに始まったとされます。賤ケ岳の戦い後、秀吉は賦役免除などで鍛治屋町を厚遇したそうです。
踊りの名は「太閤踊り」。市内や周辺には雨乞い目的の「太鼓踊り」が数多くあります。しかし、鍛治屋町はもともと田畑がほとんどなく、湧水が豊富であったこと、また秀吉の恩賞に対する喜びを表現していることからそう名付けられたそうです。
かつては9月26日に秀吉を祭る町内の草野神社に奉納していましたが、高齢化や担い手不足で途絶え気味になり、平成11年を最後に踊られなくなりました。しかも、太鼓拍子として9曲あったものが現在かろうじて3曲譜面があるのみ。さらにその3曲を知る地元住民も高齢で、このままだと完全に途絶えてしまうおそれがありました。
今回復活のきっかけには、実は自分も関わっているということを後で集落の人や大学の先生から聞き驚きました。一昨年滋賀県立大学が学生のフィールドワーク先を探していて、まちづくりに熱心な鍛治屋町を紹介したときから始まったそうです。
和太鼓の経験のある社会人学生が、太閤踊りに興味を持ち、町の保存会に手ほどきを申し込み、さらに和太鼓仲間や講座の受講生らにも声をかけ、昨年12月から練習を開始しました。復活は難しいとあきらめていた集落の住民も感化され、和太鼓愛好家、県立大学生らとともに復活に向け、町内や滋賀県立大で練習に励んでいました。
今回の太閤踊りは、これまで「女人禁制」でしたが、女性が踊るのは初めてなこと。また集落に住んでいる人以外も参加していることが最大の特色です。
9月29日当日は、バカ音頭(道化役)を先頭に町内の公会堂から草野川を渡り奉納先の草野神社に向かいました。神社では、バカ音頭のおどけた歌と踊りで会場を盛り上げた後、頭にはヤマドリの羽根で作ったかぶり物「舎熊(しゃぐま)」を付けて、早く軽快なテンポ、独特のリズムとバチさばきで和太鼓や鉦を鳴らしながら披露しました。
太閤踊り復活のカギは、鍛治屋町がこれまでのしきたりを改革する勇気をもったこと、さらに集落外の人との交流により変化の「機会」を発見できたことかと僭越ながら感じました。つまり、多様性を受け入れる寛容さが集落にあったことがイノベーションのきっかけになったのかなと。
来年も鍛冶屋太閤踊りは鍛治屋町らしく寛容な姿勢で継続するそうです。
鍛冶屋町では、現存する鍛冶小屋(長浜市指定有形文化財)で鍛冶体験ができます。
詳しくは長浜観光情報サイト