• 2019.1.12 長浜の人
  • 菅浦

湖と共に生きる漁師の暮らし


中学生の頃から父が行なっていた漁を手伝い始めて以来50年以上もの間、漁師を続ける長澤康博(ながさわ やすひろ)さん。

オイルショックなどで一時は港が船で埋め尽くされる程賑わっていた菅浦だが、赤潮による不漁やバブルが弾けた影響などで、2019年の今、専業漁師は片手ほどとなってしまっている。そんな中、今もなお漁師生活を続ける長澤さんに昔と今、菅浦での漁師としての暮らしを語ってもらいました。

漁師としての暮らし

「昔から叩き上げられてきた仲間はみんな琵琶湖のほとんど地形が頭に入っている。網を下ろす場所も、この山と山が重なる場所はひかかりのある場所だから網が破れるとか、あの木があの位置に見えたら魚がよく留まる場所だとか、自然の位置関係で把握している」と、漁には長年の経験が大切だと話す長澤さん。

たくさん漁師がいた頃は、船を留めるアンカーを降ろす場所、魚のいる場所に網を沈める方向など様々な要素を踏まえてベストな場所を早いと深夜12時くらいから夜明け寸前まで順番取りをしていたというから驚きだ。今は競り合わなくてもよくなったがそれでも夜が開ける前には船に乗り込んでいるそう。しかもその生活を正月と祭りの日以外、年中ほぼ休みなく行なっている。

漁から戻るのは9時半頃、遅い時には12時頃まで漁を行なっていることも。
陸に戻ってきた後も、業者に渡すものと家で加工するものとに仕分ける作業や道具の手入れなどを行い、すべての作業を終えるのは大体午後2時頃。

なんと漁で使う道具のほとんどが手作り。
潮が荒れた時など漁に出られない日は一日中道具作りを行ったり漁師同士で情報交換したりと、まるっきり仕事から解放されることはないという。


▲長澤さん手作りの網を縫う竹製の針

漁師によって行う漁が異なるため繁忙期は異なるが、長澤さんの場合は6月〜7月にかけての鮎の沖すくい網漁の時期。8月から4月いっぱいまでは底引き網漁でゴリなどを獲っている。

そんな生活を50年続けてこられたのは、やはりたくさんの魚を獲れた時の快感が何にも換えがたいからだ。

「よく獲れる場所、網が破けやすい場所、自分にしか引けない場所、そういった場所を見つけていくのが楽しみのひとつ。今まで引けなかった場所を攻めて、他の人では引けない場所も何箇所かある」と少し誇らしげに話す長澤さん。こういった経験と知識で予測を立てて漁を行い、狙い通りに魚が獲れた時の喜びは一入だろう。この達成感は漁師でしか味わえない。

今の時代に漁師になるということ

逆に漁師として一番辛いのは魚が全然獲れない時だという。台風などの影響もあり、2018年は例年の2〜3割の漁獲量という50年の漁師生活で一番の不漁だったそうだ。

漁には周期があり、豊漁の年と不漁の年とが波のように交互に訪れるそうだ。その波も年々低くなってきており、昔は無尽蔵にいた魚も30年ほど前から自然孵化ではあまり獲れなくなってしまい、人工孵化や放流をするように。

今や鮎や鮒、モロコ、鱒などは放流を行わないと採算ペースにあう量は取れないのが現状だという。

「今は漁が上手くないとよっぽど頑張らないと食べていけない。サラリーマンと同じような働き方をしていたらおそらく食べていけないし、休みもない。漁が好きだとか、環境が好きだとか、やっぱり好きで仕事ができる人でないと漁師は難しいね」と、仕事の大変さを改めて物語る。

菅浦の港ができたのは1950年代頃。それから15年ほどは港に入りきらないくらい船が並び、少ないと言っても30~40人くらいは漁師をしていたが、漁の過酷さに加えて漁獲量が減る昨今、比例するように漁師の人口も現象している。

兼業や趣味で漁をしている人は専業と比べてまだいるが、専業となると極端に少なく、後継者がいないことも課題だ。菅浦に住む専業の漁師は一番若くても50歳前後で、その人も学校卒業した時から漁師を生業とする叩き上げ。途中からという人は、不漁が続いたり、資金面での問題や近年の異常気象などの影響もあったりでなかなか続かない。

また長澤さんは、昔は「季節的にはここにあれがおる」とかそういう情報や自慢話を聞いて研究し、実践することで技を磨いていたが、漁師が少なくなったために、先輩や師匠から教えてもらったり、見たり聞いたりして技を盗む機会が減ったことも、後継が育たない要因だと考える。

漁師になりたいという人には教えられるうちにノウハウを伝えたい

今は自分のできる範囲で漁を続けている長澤さん。上記の理由もあり、漁について教えられるうちに一人でも二人でもいいから若い子が入ってくれたらと、後継者を求めています。

実は、漁師が少なくなってしまったことでメリットもある。

かつては漁師が多かったため、漁種ごとに許可が下りる人数が決まっていたので、誰かが亡くなったら譲り受けるなど、やりたい漁の許可が下りるまでに何年も待つ必要があった。今は組合に入れば無条件で許可が下りるので、そういう意味では始めやすい。

さらに場所とりで深夜から湖へ出ることもないし、遠くまで行く必要もないので燃料もかからないのも良い点だ。

菅浦は景色もよく、住む人たちの人柄もいい。
組合のエリ漁に参加して、どんな環境でどんな作業をするのかを体験可能とのこと。漁師に興味があるという方は、まずは漁の体験をしてみては。エリ漁であれば女性も歓迎だそう。

取材を通して、改めて漁師の生活の大変さと現状の課題を痛感した。
様々な琵琶湖の幸を届けてくれる菅浦の漁師達に感謝し、地域一丸となって次の世代へとバトンを繋いでいきたい。

山瀬鷹衡
この記事を書いた人
山瀬鷹衡
長浜市西浅井町出身。大学進学を機に大阪に移り、デザインやライティングの仕事を経て2017年7月、長浜市起業型地域おこし協力隊として帰郷。昔から感じていた地元で豊かに暮らす魅力ある「人」に注目した情報発信や体験構築を行う『うるう』を起業し活動中。