丸三ハシモト4代目 橋本英宗さん
正月などに流れる琴の演奏。その美しい音色を聴くと、日本人であることを意識させてくれる、まさに「和」の音色です。琴や三味線、琵琶などの和楽器は、人形浄瑠璃や歌舞伎といった日本の伝統文化にとって欠かせないもの。これらの音色を左右する絃(げん)は、古くより繭からとった生糸で作られてきました。
良質な生糸の産地だった長浜市木之本町で、明治41年に創業した丸三ハシモト株式会社。110年の歴史をもつこの会社が、日本の伝統音楽を絃の製造で支えているのです。4代目の橋本英宗(はしもとひでかず)さんは、時代のニーズに合った製品作りに取り組んでいます。
「小さい頃から家業を継ぐように周りから言われていたので、いずれは継ぐもんや」と子どもながらに考えていた橋本さんは、大学を卒業後に入社します。
「でも早く仕事の勉強をしようという真面目な子どもではなかったですよ」と、笑いを交えながら当時を振り返ります。
一方で「人と違う何かでありたい、自分なりに変わったことをしたい」と、日頃から考えていた橋本さんにとってこの絃作りの仕事は、自分のスタイルで独自の色を出していける表現の場となっていくのです。
音へのこだわり
丸三ハシモトでは生糸を使う絃の生産を、ほとんど手作業で行なっています。中でも糸に撚り(より)をかける工程では、「独楽撚り(こまより)」と言われる伝統工法を今も受け継いでいます。
撚り具合によって音色に違いが出るため、熟練した職人技が必要となります。手作業なので大量生産はできないものの、質の高い丈夫な糸に仕上がるそうです。
この工法は様々な楽器や音色の違いによるニーズにも対応し、ウクレレなど海外の楽器絃作りにも採用されています。
橋本さんも「どうしたらこの音になるのかが、10年経ってようやくわかるようになってきた」といいます。
日本から中国へ
仕事をしていくなかで「同じことをしているだけでは衰退してしまう」。そう考え、古来には絹絃を使っていた中国の伝統楽器(古琴、二胡など)が、現在では音量の出るスチール絃が主流だと知り、中国に新たな市場を見出します。
しかし伝統工芸品の中国進出は、日本で前例がなかったため試行錯誤の連続でした。中国楽器に関わる様々な分野の人にも話を聞き、研究・試作を繰り返していきます。こうして中国上海で行われた国際楽器展覧会に絹弦を出展したことがきっかけで、中国の演奏家たちに絹絃の音色を評価されるようになり、平成23年から絹絃の中国進出が始まったのです。
木之本のリレーで伝統を支える
この地域では平安時代から養蚕や製糸業が盛んで、主に和楽器用の生糸が作られてきた歴史があります。
丸三ハシモトもその生糸があったから創業できたのです。昭和初期にはたくさんあった糸取り工房も、今では一軒のみとなってしまいましたが、同じ木之本地域にある大音地区で、数人の女性たちが昔ながらの糸作りの技術を守り続けています。
大音で生糸を作り、その糸が丸三ハシモトへ渡って絹絃へ。
日本の伝統音楽が、木之本の人たちのリレーによって支えられているのです。
橋本さん自身も「木之本の糸を使い、木之本で弦を作っていることが一つのブランドになっている」と話します。
糸の産地が違うと音も違うそうで、これには驚きました。
変わらないスタンス
「従来のものと新しいものとのバランスを取りながら、幅広くチャレンジしていく。その中でも常に木之本で作ったものを出していく。これが基本かな」と、絃作りに対する思いを語る橋本さん。
伝統音楽を支えるクリエイターとして、ストーリーを積み重ねていく彼が、今後はどんな音色を響かせていくのか―。挑戦は続きます。