• 2015.12.11 長浜の風景

かくれ里の大晦日


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「うちの集落では、『大晦日参り』といって1231日の夜に須賀神社に参るのがならわしになっています」。

ここは琵琶湖最北端、長浜市西浅井町菅浦。最寄りの集落から湖沿いを車で15分ほどかけて走ると見えてくる集落です。大晦日参りのことを教えてくれたのは、菅浦住民の大橋延行さん。集落入り口にある宿「つづらお」の代表でもあります。「だから正月の初詣はしないんですよ」。

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1231日の午後7時~9時にかけて集落の人たちが須賀神社に参ります。

須賀神社は三社が合祀しており、参詣者は社ごとに稲穂に切り口に小石を結んだ「年の実」をいただけるのです。もちろん菅浦の人でなくても参詣は歓迎です。

五穀豊穣、商売繁盛のご利益があるとされ「たくさんもらうほどにご利益が高まると伝わっています。親戚などにも分けて、のしをつけて神棚に飾ります」。大橋さんはつづらおの神棚に置いているものを見せてくれました。

そしてその年の終わり間近になると、軒先に吊るしておいて雀につついてもらうのだとか。

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菅浦には奈良時代の帝であった淳仁天皇が隠遁したとの伝説が残ります。須賀神社はこの天皇を祭神としたもので1200年以上の歴史をもち、独特のしきたりがあります。参道の途中にある手水舎から先は裸足での参拝が定められているほか、宮司をもたないのも特徴で、年ごとに交替で9人の住民が「村神主」を務めます。

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年の実づくりは村神主の仕事のひとつ。小石は、集落の最南端葛篭崎(つづらおざき)の湖岸のものを拾い集めて、稲穂にくくりつけていきます。大橋さんはこの年の村神主のひとりで秋の終わり頃から準備に取り掛かってきたそうです。

そういえば菅浦の人たちは大晦日にお参りが終ってしまったらお正月はどうしているのだろう? 大橋さんに尋ねると「家で過ごしてますよ」と笑います。

先ごろ、一帯は国の重要文化的景観地に指定されました。

家々の目の前の琵琶湖は静かに、背後には山々が迫ります。隔絶された立地がそう思わせるのか、太陽のあるうちの菅浦は時間の流れがゆっくりに感じます。随筆家の白洲正子の著作にちなみ、しばしば「かくれ里」と呼ばれるのですが、たしかにそう思わせる風情が漂います。

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中世、菅浦では村のルールは村で決める自治を行っていました。当時の村落のあり方としては非常にまれなことだったと聞いたことがあります。詳しくは専門家にゆだねるところなのですが、そのときに聞いた、当時と現在と世帯数がほぼ変わらないという話は何かとても新鮮でした。

ここで過ごすことは、菅浦が受け継ぎ守ってきた歳月を共有させてもらうことなのかもしれません。

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nagahamalabo