梅花亭 菅井竜冶さん
「たつや君」とは、友人の友人つながりで知り合い交流をもつようになった。彼はラーメン店を営む傍ら、ある頃から鯖寿司やビワマスの加工品などを作り出した。湖北地域の郷土食をアレンジした製品だ。
周囲の反応はほぼ同じだった。「ラーメン屋がどうして?」
これはたつやくんこと、梅花亭・菅井竜冶さんの「進化」の話である。
菅井さんがラーメンの世界にはまったのは、高校時代。市内のラーメン店で始めたバイトがきっかけで、勉強そっちのけ、大学に入ってからも夏休みなどの休業期間中は帰省し、バイトを続けた。
「全盛期は1日400杯を売るような店。切り盛りする親方がかっこよくって、自分もあんな風になりたいと思うようになっていった」。
そんな風に菅井さんは振り返る。次第に餃子やラーメンづくりも担うようになり「楽しくて仕方なかった。店はもう自分の一部、親方さんは父親のような存在だった」
ラーメンへの思いは募りとうとう大学を中退。大阪でも修業し、「梅香亭」という屋号で浅井地域で開業したのち、2005年、香を花に変え「梅花亭」として現在地に移転した。
梅花亭で菅井さんが一貫してコンセプトにしているのが「滋賀・長浜から発信するラーメンの新しい形」だ。
現在に至るまで店の看板メニューとしての人気を誇る「和風鶏塩らーめん」は、新しい形のひとつ。透明であっさりしたスープには平打ち麺を合わせるという当時のラーメン界の常識を破って、自家製麺の細麺を組み合わせた。
もうひとつの新しい形は、女性が入りやすいラーメン店づくり。
まだまだ男の食べ物というイメージがつきまとっていたラーメンに、前菜やデザートがつくレディースコースを取り入れた。フレンチやイタリアンなどを食べ歩き、発想を得たものだ。
湖北の食材を使った加工品づくりは、新しい形の延長線上にある。
きっかけは、縁あって「ビワマスのブランド化の協力」を引き受けたこと。
ビワマスをどう加工するか…菅井さんはヒントを求めて、尾上や南浜、菅浦といった湖北の漁港をさまよい歩いたのだという。
「その辺を歩いている人に『僕、ビワマスに興味があるんです』って声をかけたらみんな気さくに答えてくれて…うれしかったなあ。そこで、1本釣りであがるビワマスの刺身は格別とか、その土地でしかわからない食べ方なんかがあると知って気付いたんです。単に新しいもんを作ってもあかん。食材にまつわる背景を知り、伝えることも大事だと」
菅井さんは、南浜一帯の郷土料理でもビワマスのなれ寿司である「こけら寿司」に注目、自分で漬け始めるようになった。
完成させたのは、こけら寿司の押し寿司。いわゆるバッテラのビワマス版だ。
「こけら寿司のままでは若い世代に敬遠されてしまう。伝統食の良さを生かしつつ食べやすい形にして伝えていくかを課題にして生まれたレシピ」と解説する。
郷土料理の奥深さに気付き、鯖寿司や鮎加工などにチャレンジ。すっかり夢中になり、伝統食を伝えていく使命感に燃えるようになっていた。
一方で、県外からも滋賀県下のラーメン店が注目され、梅花亭もそのひとつとして多くの来店者を迎えるようになっていた。
「ラーメン屋が郷土食なんか作ってどうするの」「2足のわらじをはいてる」…。自分のやりたいこと、そしてお客さんのラーメンを求める声の狭間で菅井さんは揺れ続け、そしてさらなる新しい形を見つけた。
今、梅花亭のメニューには、開店当初からある定番ラーメンのほかに、木之本の冨田酒造の酒粕を魚介ダシなどとブレンドしたスープの「酒かすのらーめん」や、琵琶湖のしじみを使った「淡海(せたしじみ)らーめん」などが並ぶ。
地元の食材を融合させたラーメンは登場時から評判を呼び、すっかり定着した。
「僕の原点はやはりラーメン。ラーメンを通じてまずは地元の食材を知ってもらうきっかけを作ることが、僕の出来る最も効果的な方法。まずはそこから始めればいい」
近頃は琵琶湖のアユの煮干からとったスープのラーメンを開発し、まずはデパートの催事で販売するという。長く試行した渾身の作だ。
菅井さんは、常に模索を繰り返している。新しいことを始めるリスクを承知のうえで模索を繰り返している。「それを僕は進化って呼んでるんです」。
そういえば、こんな待ち遠しいことを教えてもらった。
「今の店とは別に、いろんな地域から長浜に来てくれた人が、長浜ってこんなまちなんやって知ってもらえるようなラーメン店を近いうちに開きたい」
執筆 矢島
梅花亭
長浜市大戌亥町1031-3
営業時間11:00~14:30 18:00~21:30 定休日火曜日(他不定休あり)
鯖寿司やこけら寿司の押し寿司、鮎のオイル煮は「いまはま」として販売。要問合せ。
問合せ:0749-65-6450