• 2015.7.9 長浜の人

480年のその先へ


山路酒造 山路祐子さん

 

木之本町の北国街道沿いに蔵を構える、山路酒造。

約480年前とされる創業は、全国の酒蔵のなかで5本の指に入る古さを誇る。
桑の葉を漬け込んだリキュール「桑酒」は看板商品。
街道をゆく旅人の疲れを癒し、島崎藤村が愛飲したことでも知られる。

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山路祐子さんは23歳のとき、この老舗酒蔵の13代目に嫁いだ。

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長浜の出身だが、木之本町は遠いところだった。
結婚前はOLで「酒蔵はお酒も売ってるし、つくってるところというイメージで。お酒がいっぱい飲めるなとしか考えていなかった」と振り返る。酒蔵という存在はもっと遠かった。

 

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オーストラリアでの新婚旅行から帰ってきたのは11月。日本酒好きならご存知、まさに酒の仕込みが始まる時期だ。
当時山路酒造では、5、6人の杜氏さんが能登からやってきて酒造りを担っており、シーズン中は山路家が彼らの生活の場となる。
杜氏さんの三食の用意をするのは、山路家の女性の担当。酒の瓶を洗い、ラベルを貼り、包装し、接客することも。
それはまるで「江戸時代にタイムスリップしたかのようだった」と笑う。
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新たな転機が訪れたのは、女将業の傍ら2人の子の育児に明け暮れていた30代半ば。
杜氏さんが高齢となり、酒造りの人手が足らなくなっていた。
接客にも必要だからと通信教育などで日本酒の醸造を独自に学習してきていた祐子さんは自ら手を挙げ、他の杜氏さんに混じって酒を仕込むことを決心する。

当時、山路酒造では酒づくりを行う場への女性の立ち入りは禁じられていた。
「父(ご主人のお父さん)に造りをしたいと思いきって願い出たらあっさりOKが出て。拍子抜けしたくらいです」。少々大げさだけれど、老舗酒蔵の長く続いた風習が終わりを告げた瞬間だった。

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酒造りに関わると簡単に言っても、その世界は、厳しい。早朝から始まる重労働。その上でスピードが求められる。
日本酒は「生きもの」だから、待ったや、やり直しがきかない。つまり相当な覚悟を要するのだ。

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それでも「本で学んでいた作業が目の前で進められている。もう感動でしたね、楽しくて仕方なかった」という。

祐子さんは現場での作業のことを失敗談や笑いをまじえながら楽しく聞かせてくれる。明るさと自分を客観的に見つめられる強さを備えている人だなあと思う。
厳しい作業をこなしていけるのはこんな気質によるものが大きいのだろう。
仕事の合間の杜氏さんとのたわいもないおしゃべりも楽しみのひとつになって、業務上のコミュニケーションが円滑に進むようになったのも、変化のひとつだ。

 

「お酒って幾人もの手で分業してようやく生まれるものだと実体験によって学びました。私はほんの一端に関わらせてもらっているだけ」

 

 

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5年ほど前から酒蔵女将としての日々をブログにつづるようになった。
造りの時期は蔵に閉じこもり、そうでない時期は梱包などの部屋に閉じこもる。「あそこの女将さんは何をしているのだとよく言われることもあってブログを始めたんです。」
ブログが縁で、桑酒を使ったスイーツの販売を考案。お酒が飲めない人にもたいそう評判が良い。
桑酒を搾るときに出るみりん粕を練りこんだ塩味のクッキーはチーズのような風味があり、こちらは甘いものを食べない人にも喜ばれている。
お酒も甘いものも好きな祐子さんらしいアイテムが蔵の定番商品となった。

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いつも店頭をたずねると、大女将さんが出てくれて、祐子さんを呼んでくれる。
おふたりのやりとりは本当の親子のようで、素敵な関係だなあといつもうらやましく思う。

 

祐子さんもまたいつの日か、大女将の役目をバトンタッチする日が来るだろう。
「続けてきてくれたご先祖があるからこの480年がある。その一地点に立つものとして、この歴史をつなげていくのが役目だと思っています」
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執筆 矢島


山路酒造 
長浜市木之本町木之本990
0749-82-3037
営業時間 午前8:00頃〜午後6:00頃
定休日 1月1日

地図

 

矢島絢子
この記事を書いた人
矢島絢子
学生時代+数年を県外で過ごしUターン。冬の寒さをどうやって乗り切るかが毎年の課題。自転車に乗って肌寒さを感じなくなったときが湖北の本当の春到来だと信じています。そんな自転車の速度で感じるような、長浜の空気を伝えて行きます。