賤ヶ岳の麓、木之本町大音集落の一角、梅雨のこの時期になると「コトコト」と座繰機(ざぐりき)の動く音が聞こえてきます。
「おっ、今年も糸とりをやっているな。」とほっとした気持ちで工房へ顔を覗かせます。窓のいちばん近くの特等席には、いつもの主「佃三恵子」さんがいつもどおり作業を行っていて、さらにほっとした気持ちになりました。というのも、大音にはもうこの工房しか残っていないからです。
この地域は、賤ヶ岳の麓から湧き出る清浄な水にも恵まれ、平安時代の頃から養蚕業や製糸業が盛んであったとされ、昭和初期には全盛期を迎え、大音集落では7割が和楽器用の生糸を生産していましたが、戦後、化学繊維の普及により衰退し、現在は、明治期から続く4代目の佃三恵子さんの工房が残るだけとなっています。
毎年6月、岐阜県美濃加茂市から良質の糸がとれるからという、桑の新芽を食べた春蚕(はるご)が届くと、集落や最近では集落外からも若い女性らを呼び、数人に手順を教えながら、糸とりに精を出しています。熱風で乾燥させた繭を、座繰器を用いて熱湯で煮沸しながら手作業で繭の糸を集める作業(糸とり)を行います。そして、糸とりによって小枠に巻き取った生糸は、大枠に巻き直され、仕上げの工程を経て邦楽器の原糸が完成します。糸とりは、昔から嫌われていた仕事といわれるほど、とても集中力と根気がいる作業なのです。
この原糸は、同じ木之本町の特殊撚糸製造会社「丸三ハシモト」で加工され、琴糸・三味線糸などの弦となります。
ただ、近年、美濃加茂市の養蚕も高齢化により飼育者が減少し、繭の数も年々減っていて、事業の継続に危機感を募らせています。このため、「蚕がいなければ自分達で飼育するしかない」と、地域に協力してもらい桑の木を植えました。そして今年蚕の飼育も始め、少し大音産繭がとれるようになったそうです。
佃さんに、「今年から大音で養蚕を始めたのですね。」と尋ねると、「ほうや、どんな繭でもええわけはない。良質な繭をつくらなあかんからな、それには自分で作るのが一番やな。」と、頼もしい答えが返ってきました。
消えようとしていた「糸の里」で、かつて行われていた「養蚕から糸までの一貫生産」が始まり、糸とりには若い女性が参加するなど、「里」が静かに再燃し始めています。
執筆 川瀬
大音の糸とり
作業期間 6月上旬~7月下旬
場所 滋賀県長浜市木之本町大音
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