「長浜に暮らし始めてもう 6 年目か・・・。」 と振り返る筆者(神戸市出身)は、結婚後、主人の地元である長浜市に移住してきました。 現在は、2 歳の一人息子の育児に振り回されながらも、幸せな毎日。
けれど、最初のうち地域に慣れるまで、 いろいろ本当に大変だった記憶も、一緒に思い出されます。
そんな中、同じ「移住者」で、しかも移住 2 年目にして さまざまな取り組みをアクティブにこなす、とあるご夫婦がいると耳に。 興味深い!と感じ、早速お話をお伺いしてきました。
戦国時代、歴史の舞台だった賤ケ岳(しずがたけ)。 その麓に、当時の面影を残す築 450 年の立派な古民家が佇んでいます。
その古民家を改装したカフェ「丘峰喫茶店(きゅうほうきっさてん)」を営むのは、 ご主人でマスターの諒平(りょうへい)さんと、奥様で女将の森下昌史(まさみ)さん。
左:取材中、昌史さんが電話するとすぐにかけつけてくれた、 大家さんの「横関隆幸(よこぜきたかゆき)」さん
右:これもご縁か、偶然来た移住者仲間の「植田淳平(うえだじゅんぺい)」さん 記念にパシャリ。
埼玉県出身の昌史さんは、元新聞記者。
大好きな仕事でしたが、全国転勤で多忙な生活は健康とは程遠いものでした。
いつしかココロとカラダは地に足の着いた生活を求めるようになり、 仕事の調査で訪れた湖北の自然に魅せられていきます。
そんな矢先、取材で出逢った滋賀県竜王町出身のご主人と結婚。
退社し、二人で出来る仕事と住む場所を、「湖北」で探し始めました。
そして、知人の紹介で現在の大家さんである、横関さんに出逢いました。
そのご縁で 2016 年 6 月、こちらでの生活をスタートさせ、 2017 年の春にはお店をオープンさせるに至りました。
喫茶店を営みながら自給自足の生活を目指すお二人には、 それぞれライフワークがあります。
女将の昌史さんは、キャリアを活かし、出版社「能美舎(のうびしゃ)」を設立。
大好きな“本”づくりにも取り組んでいます。
ちなみに、能美舎が出版した本である「きのもと文庫」は、同じ移住者である植田さん(上 の写真)の、地域を盛り上げる企画から始まったもの。人と人との繋がりが、こんな形でも 実を結んでいます。
マスターの諒平さんのもう一つの顔は、木工職人。
結婚前から取り組んでいたギターやウクレレ、スピーカー等の制作を、今でも続けています。
木の持つ温かみを活かしたフォルムはどこか懐かしさを感じさせるデザインで、 最近では受注も増えてきました。
「とにかく、時間不足。」と笑う、多彩で多忙なお二人の「最近の心に残ったできごと」 は、地元の神事である「オコナイ」に参加したこと。
移住者の参加は初めてのことで、それがとても嬉しかったんだそうです。
同じ移住者の私でも敷居が高く、尻込みしがちな地元文化。面倒な風習や自治会に至るまで、 それらはその土地に溶け込む「チャンス」と話す昌史さんに、衝撃を受けます。
知らない土地に“定住”するために必要なことは、地域に溶け込むこと。
そのためには、「地元の人達にとって気持ちいい状態を自ら作る努力をすること」だと 語る目に、力強さを感じました。
「えらいなあ。私なんて人間関係、わずらわしそうって思ってしまうんですよね。(苦笑)」 と、ストレートに表現する私に、そばにいた横関さんは「そういう人たちが都会に集まった んだろうけど、そのひずみが今、都会で生まれてるだろう?」と、優しく話してくれました。
それは、その「ひずみ」さえ故郷の光景のひとつだった私でも、 ぐっと言葉に詰まってしまう一言で。
その土地に来たくて来た人も、そうでない人もいる。
ただ、そこでやっていかなくてはいけないということは同じ。
わずらわしさをかいくぐれたとして、その先に、どんな景色があるのか。
それは誰にも分からないし、また善し悪しでも無い。ないのだけれど・・・。
自分がそこで“咲く”ために、できることをなんでもいとわず、主体的にやっていく。
万事に前向きなご夫婦と、そんな二人だからこそ、温かくサポートする地域の人々。
移住者と地域の人々が笑いながら語り合う光景は、素直に心に響いてきます。
―今までわずらわしがっていたこと、なにか一つでも始めてみようかな。
いびつでもいいから、ゆっくりと。
都会では社交辞令の「また来ます。」の挨拶も、 ここでは心から言って店を後にする自分がいました。