• 2018.12.15
  • 菅浦

須賀神社の「須賀神社例祭」



(写真は平成25年10月13日に行われた、須賀神社神淳仁天皇 1250式年祭の写真です。50年に一度行われます。)

毎年4月初めに行われる須賀神社の「須賀神社例祭」は、菅浦が最もにぎやかになる一日。
今は村を出た人も、戻って役目を果たします。

平成28、29、30年度 氏子総代の須原 伸久さんは、
「ここに生まれたものにとって、祭とは、生活と切っても切り離せないもの」と言います。

今回、「須賀神社例祭」について須原さんにインタビューさせていただきました。

菅浦の暮らしとお祭り(須賀神社例祭)

——「須賀神社例祭」は、どんなお祭りなのでしょうか。

正式には「須賀神社例祭(須賀の祭)」と言います。
昔は、四月の二日と三日の二日間に宵宮と本祭りをやると決まっていたんですよ。
やっぱり人がだんだん無くなって、集まらなくなってきて。
何年ぐらい前やろなぁ、20年ぐらい前なのかな。
はっきり覚えないですけども、4月の第1週目の土日に決まりました。
50年に1回ずつ祭典がある1250年祭も5年前にやらせてもらいました。

——菅浦の暮らしとお祭りはどのような関係なのでしょう。
これが初めて終わらんと一年の春が過ぎたように思わないというか。
すがでは、祭りなどの神事も住民がみんなで担うんです。
東西の組が毎年交代で当番を務めるのですが、それが1月に入れ替わるんですよ。
そこで、今年は誰がその役をせなあかんというのがわかってくる。
そこから1年間の行事がずっと始まる。これが済まんと、1年が始まらない。
みんなそんな思いがあろうかなと思います。

どのようにお祭りの役が決まってるのか

——当番組の人はどんなお役目を果たすのでしょう。
「くにんぐみ」と言って、当番組のうちの9人が「神主」として、氏子総代らとともに神事を担います。
神主は3人ひと組で、4カ月ごとに交代して、本殿などの鍵の管理や毎月1日のお参りなどを務める。
普段は菅浦を離れている人も帰省して役目を果たしてもらいます。
行事としては「須賀神社例祭」が一番大きいですが、一年のうち何度かお祭りがある。

「新嘗祭」は、菅では今年は11月18日に行いました。
2時ごろに本殿にいき、本殿開けてお供え物をして、お参りをする。
新嘗祭以外にもそのような行事が年に4回ぐらいあります。
それとは別に、毎月1日に「もちがんぬし」と言って、自分らが祝詞をあげています。

——「神主」はどう決まるのでしょうか。
年の順です。昔は村が三つに分かれてて、その順番にやってたんやけど、それもだんだん人が無くなって。
今は西と東に分かれていて、順番に祭り番をしています。その中で9人が世帯主の年齢順に回っていく。
今年一番若いところまで降りてると、次の年は一番年寄りの人の順番に9人をする。
その9人が祭りの準備などの当番をします。
それとは別に、「氏子総代」は選挙で決まります。

春になって年が変わったら一月に選挙をして、1月の末に総代が変わる。一期、三年間務めます。
1年目2年目3年目で総代は三人いるんですよ。祭りは総代の一年生が仕切ります。
上がってすぐ何もわからへんのにいろんなことをせなあかん。
人を集めたり、村を出ている人にも何日に誰が戻ってもらえるかと連絡を取ったり。
私は、三年前に総代になったので、今年は一番古株です。

——選挙とはどう行うのでしょうか。
氏子総代は自治会の選挙で決めてもらいます。
村の人たちが全員が公民館に投票にいきます。
神社委員といって、神事をご協力いただく人が他に8人いるのですが、
神社委員を決める選挙は、村を回って村の人たちから投票用紙を集めて開票します。

——世帯数は今どのくらいですか。
全部で60件あるかないかですね。悲しいでしょ。
それが二つに割れてるんですよ、だから30前後。一人ひとりに負担が大きくなってきています。

——30人前後で神輿を担ぐのは大変ですね。何社あるのでしょう
神社には三社おさまっていてかく(担ぐ)のには、大きい神輿は12人、小さい神輿は8人必要です。
私らが言う「赤崎さん」「明神さん」「八王子さん」の三社を12人、12人、8人でかく。
街でかかれてるような神輿は井の字に梁を渡してみんなで担ぐ。菅浦はそういう神輿じゃない。
この狭い村の中を行くので、いの字に組むと村を回れないので、二本の梁の上に神輿を乗せて、そのままでかきます。
そのため、かき方も独特で「のす」って言うんですけど、自分の背を曲げるといくらでも重みがかかってくる、
横にいる人の法被をぐっとつかんで、足を伸ばして、自分がまっすぐになる姿勢でかくんです。
それでないと、腰をいわしてしまう。なかなかこんなお祭りはこれからはできんやろな話をしとるんです。

「車で引っ張らなあかんかな」とかね。
三社が一度に出たのは5年前の1250年祭の時が最後。今は毎年1社を出すのに精一杯です。

——菅浦の人にとって、お祭りとはどんな存在なのでしょう。
大昔の話を聞くと、お祭りというのはお金持ちがする行事で、
お祭りをしたいから、そういう仲間に入れてもらいたいから、みんなで頑張って働いたと聞いています。
前の1250年祭は、資金集めなど含めて準備に7年ほどかかりました。
今も昔も、菅浦の人にとって、自治会活動と同じように神事もある。
子どもからお年寄りまで、菅浦に生まれた人にとって、切っても切り離せない暮らしの中に当たり前にある行事です。

一方で、祭りのかたちをこのままで残していきたいとは思っていますが、村には子どももほとんどいない。
いつかは、神輿を出さずにお祭りをするようになってしまうのかもしれません。
寂しいなと思うんですけどね。みんなを集めて最後まで諦めずに出すつもりですが、
今年はこれだけしか集まれないから、「一社しかでえへんね」とかそういう相談をしながらやっています。

自分たちの目線で切り取った写真

——写真集を作られたそうですね。
1250年祭の時に、もう3社出すのはできんようになってしまうやろなぁと思って、
僕は神社の役員をしていたので、「こんなん作ったらどうか」と提案して、写真集を自分で作ったんです。
1250年祭は50年に1度。歴代の総代さんらがみんな寄ってやらないとこんな年祭はできない。

私も小さい時に「これが年祭だよ」と言われて、
いつものお祭りとはちょっと違うお祭りかなって思いながら見ていた記憶はあるんだけど、
もちろんその時は僕らよりずっと上の人が祭りの管理をしててもらってるんで、
小さな僕は少し覚えられてるかな、くらいの感じ。50年に1度では、なかなか2回経験できないですしね。
それで、みんなで「残していきたい」と写真を撮ってたんですよ。

それならと思って、勝手に作りました。すぐに見られるし、やっぱり写真っていいんです。
皆さんの目に触れることがないような場面も写っています。これは地元の私らが思う眼線での写真なんです。
写真屋さんに頼むといい写真撮って載せますけど、それはそのカメラマンさんの目線。これは私や、地元の人が撮った写真。

——写真が好きなんですか。
好き、というか何か形にして残していかないと、分からないようになってしまう。
代が変わっていくと時代が流れてね。ものがだんだんなくなっていく。
20年ぐらい前、村の皆さんのも持たれてる写真をお借りして、写真展をしたんです。
その写真展をした時に皆さんからお借りしたのを、私が全部一生懸命スキャナーで撮って、
デジタルに置き換えてて、スライドショーもしたんです。

これは、お父さんで息子さん。親子でこんなことはなかなかないので写真を撮っておいた。

これはね、お宮さんの浜です。ここは参道。今は伸ばして護岸工事してるから景色変わってしまった。今は道路が走ってます。

これは前の50年祭の時、この人らが着付けして皆さんが並んでるって写真。今はおばさん連中ですね。

これは私がまだ産まれたかうまれてないかぐらいの頃、今の永原の小学校、あそこにはここから船で行くんです。
そこに行くために船を待ってるところ。今は貸しボートになっているけど。
あそこは船着場で、鐘つき堂があって、鐘をつくと、船が迎えに来てくれた。

これは多分前の年祭の時。ここの神輿を動かしたときの。
もうここは今埋め立てられて道路になっていますね。

これは「浦安の舞」といって、村の娘さんが舞う。舞い手が居なくなり、今は無くなってしまった行事です。

私がこれですよ、鼻垂れ坊主。こんな感じの生活だったんで。

ここに写っておられる人たち。もう今はこの人らがおじいさん、おばあさんです。

20前に写真展をやってよかったなって思って。1枚1枚をスキャンしたり、
準備は本当に大変やったけど、個人の持ち物で置いていたら、もうとっくになくなってしまっていたと思う。

こんなのを残しておきたい。
そこら中、写真撮って歩いてるんです。この菅浦の生活を残しておきたくて。

 

インタビューを終えて…

菅浦に生まれた人にとって、祭りが子どもからお年寄りまで、切っても切り離せない暮らしの中に当たり前にある行事だということがわかりました。今後どのような形で祭りが継承されていくのか、色々と課題はありますが、須原さんのように写真に残したりして、自分たちなりにできることをしていくことが大事でだと思いました。

 


須賀神社
〒529-0726 滋賀県長浜市西浅井町菅浦

植田淳平
この記事を書いた人
植田淳平
2015年12月より東京から滋賀県長浜市に移住をして現在、長浜市地域おこし協力隊として活動。昔ながらの町並みが残る木之本の北国街道や江北図書館がとても気に入り、町の魅力を伝える為に頑張っています。